友人がカナダへ

 このままだとホントに何もしないままになってしまうので、メールを急いででっち上げてみた。辛気臭いのは好きじゃない、っつーか、あまりにこっぱずかしいというか、んなことお前が書いたらキモいんだよ、ってことで、わりかしサラッと。
 ただ、そうやって書いておきつつ、頭の片隅にはボーっとこれまでのことが浮かんでいた。そういや、別にこの友人に限らずだけど、俺は周りの人に何もしてなかったな、と思い返す。もともとそういうのが人一倍苦手なのもある。でも、今の状況を生み出してる要因でもあるよな、と、この辺のことを考えていたら、今日の「おとなの小論文教室」にドンピシャの記述があった。

「そこに生きる」
というためには、自分の主観だけじゃなくて、
他人の存在がいる。

人の記憶に残ったときに、
私は仕事を通して、そこに生きた、
ということになる。

 光を当てる方向は違うが、似た感じのことを考えていた。「ホントに『一人』で生きていくなら、相当の覚悟が必要なんだな」と。